お釈迦様と科学と宗教(2)
[色即是空と原子と素粒子]
前回の記事では、宇宙の成り立ちという大きな視点からビッグバンと結びつけて考えたが、
今度は内向きに、物事を構成する原子や素粒子とリンクさせてみようと思う。
私達の体や身の回りのものすべては、原子で構成されている事は現代科学の基礎とも言える。
さて、その原子は、原子核と電子によって構成されている。
原子核の大きさとしてよく使われる例えで言えば…
原子核をリンゴとするなら、原子の大きさとして捉えられる大きさは山手線の大きさになる。
原子核からはるか遠く離れた場所を、ごくごく小さい電子がぐるぐると回っているのが原子の現実で、
原子核と電子の間には何かあるのかと言えば、何も無い真空があるのみ。
原子というのは、もはや空虚に近い存在であるという事がおわかりだろうか。
さらに、原子核を構成する陽子や中性子を構成していると言われているのがクォーク(素粒子)であるが、
この大きさは、陽子や中性子の大きさの100分の1以下である事までしか突き止められていないが、ずっとずっと小さいと予想されていて、
例えるなら地球の大きさの陽子の中を、ウイルスの大きさにも満たない3つの素粒子が動き回っているようなものだろう。
殆どの部分が真空で構成されている原子。
その中心で、重量のほぼすべてを占めている原子核ですら、突き詰めていくと、限りなく空虚である事がわかる…。
つまり、この世の中は、ほぼ、空虚である。
私も、貴方も、何もかも。スッカスカもいいところである。
宇宙の中でぎゅっと何かが詰まっている部分など、無いのかもしれない。
これだけの説明をしてやっと実感できるかもしれない、世の中のすべてのものが空虚であるという事を…
やはり2500年前にシャカは、見えるもの「色即是空」として、世の中のすべての本質は空虚であると説いてしまう凄さ。
おわかりいただけるだろうか。
[輪廻転生は非科学的ではないのか?]
シャカが説いた仏教の考えの一つに輪廻転生というものがある。
これまで散々、理論的だ科学的だと褒めそやしてきたので、まさかこれについても科学的であるとのたまうのかと思われているかもしれないが、そのまさかである。
何せ2500年前の話だ。
人の思考や意識というものの正体が、大脳の神経細胞を駆け巡る電気信号だという事などを、
その当時に考える事など到底無理な話である。
そこには、どうしても自然と、「魂」の存在というものが認識されてしまう事になる。
おそらく、輪廻転生というものは、「魂」のリサイクルではないかと思う。
世の中の全てのものは自然にリサイクルされている。
肥沃な大地に芽吹いた草を草食動物が食べ、それを肉食動物が食べる。肉食動物が死ぬと腐って大地に戻り、そこから新たに植物が芽吹く。
雨が降り、大地に染み入り、絶え間なく流れる大河となって海へ注ぎ、海からは雲が出来て、雲から雨が降る。
そういった自然の大きなサイクルを見るなら、「魂」だけが例外であると考える事は非理論的である。
ゆえに、魂は消滅せず、時には違う生き物の魂として生まれ変わると考えたのでは無いかと思う。
現代科学を知ってしまったが故に、一笑に付す事も出来る「輪廻転生」という考えは、
その当時の実情を考えるなら、大変納得の出来る理論的なものであったのではないかと思う。
長くなったので…(3)に続きます。
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