お釈迦様と科学と宗教
誤解を招かないように予め言っておくが、私は元来無宗教である。無宗教といっても、正月は初詣に行くし、死んだら仏式で葬儀をし、墓に入ることになるだろう。結婚式は神前と、神父さんの前と。2度やった。
まぁいわゆる一般日本人的無宗教ってやつだ。
宗教について詳しく学んだことはないし、薄っぺらな知識しかない事を前提とした与太話として見ていただきたい。
世界三大宗教と言えば、キリスト教、イスラム教、そして仏教であるわけだが、この中で一番好きなのは仏教である。
理由は、この3つの宗教の中で、仏教が最も科学的であると思えるからだ。
もっとも、仏教といえども、仏陀が遥か昔に教えを説いて以来数千年を経るうちに、様々な仏教系の宗教が産まれ、やれ念仏を唱えるだけでしあわせになれるだの、変な修行を続けると死後、天国に行けるだの、そういった類いの教えになっているものは、決して科学的ではないと思うし、到底好きにはなれない。
私が科学的、理論的で好きだと感じるのは、仏教というより、ブッダその人なのかもしれない。
以下に私が科学的であると考える仏教の事項について述べよう。
[無常感と色即是空とビッグバン]
ブッダの考えの一つに、「無常」というものがある。
これは読んで字のごとく。常という事は決して無いという事である。
世の中のありとあらゆる物の全ては、常という事は決して無く絶え間なく変化し続けているという事。それが世の中の真理のひとつであるということ。
生あるものはいつかは死ぬ。形あるものはいつか壊れる。
全てのものに始まりと終わりがある。
人もモノも動物も植物も山も川も大地も海も月も太陽も夜空に輝く星々も宇宙も。
全てのありとあらゆる物事は永遠であるという事は絶対になくいつも変化し続けいつかは消える。
存在する全てのものが絶え間ない変化の末に消えてしまうのなら、
世の中の全てのもの(色)の本質は空虚(空)であり、
空虚というものが、世の中の全ての物事である
色即是空 空即是色
ビッグバン理論により、宇宙が無から生まれたと考えられるようになった現代から、2500年も前に…
釈迦は世の中を観察し、感じ、考えることによって、
宇宙 = 無
という本質に気づいていたということになる。
対象を観察し、仮説を立て、実証するという基本的な科学のプロセスがそこには感じられる
私は神の産まれかわりだと言うイエス・キリストが説いたキリスト教や、神の代弁者であると言うアッラーが説いたイスラム教よりずっと、宇宙の真実を遥か昔に突き止めてしまった仏教の方が理論的で科学的なのである。
理論的であり、真実に近いけれども、すべていつか消えるといのはあまりにも寂しい真実であり、そこにはたの宗教が説くような希望が無いという人もいるだろう。だが、それでいいのだ。
私も、あなたも、いつか消える
宇宙の存在もいつか消える
やがて 存在する という事も 消える
そこには何もない 無 がやってくる
でも 無 も永遠ではない
やがて無から有が再び生まれる。
これはある意味永遠だ
発生と消滅のプロセスを永遠に繰り返すうち、どんなものだって産まれ得る
いかに荒唐無稽に思える事だって、いつかは実現する時が来るということだ。
それはとてもとても大きな希望ではないか。
長くなったので次回に続きます。
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